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韓国の蒸気機関車

韓国の蒸気機関車

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    韓国の公園(たぶんソウル子供遊園地)で見かけた蒸気機関車です 미카5 56(ミカ5-56) 朝鮮総督府鉄道ミカサ形蒸気機関車は、日本統治時代に使用していたテンダー式蒸気機関車の第5形式で1927年汽車製造のものと思われます。白磁の人「浅川 巧」さんが朝鮮総督府農商工務部山林課勤務時代、各家庭燃料確保で荒廃した多くの山々に植林事業を行っていた頃に、走っていたと思われます。

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    明治期の山梨県八ヶ岳南麓に生まれ、日本の植民地となったばかりの朝鮮半島へ渡った浅川兄弟。 そこで眼にしたのは、統治国日本による朝鮮の文化・民族へのはなはだしい蔑(さげす)みの世界でした。 支配と抵抗の時代の中で兄弟は、朝鮮という国をあるがままに感じ、あるがままで接し、偏見から自由な位置で、兄伯教は、庶民が日常使う白磁の美しさと出会い、半島700ヶ所に及ぶ古陶磁の窯跡(かまあと)を丹念に調査・研究し、朝鮮陶磁を時系列でまとめあげました。 弟巧は、半島の荒廃した山々の緑化に尽くし、兄の白磁に対する想いを受けて、植林の為に分け入った先々で白磁の窯跡を見つけては兄に報告していた。市井の朝鮮人とよく交わり、庶民が日常使う木工品などのすぐれた美しさを知り、それを日本に伝えました。 巧は1931(昭和6)年に40才という若さで亡くなりましたが、朝鮮の人々の共同墓地に、朝鮮の人々の嘆きの中に葬られ、現在は朝鮮の土となって、墓参する日韓両国の人々に多くのことを語りかけています。 巧の業績と人柄を慕う韓国林業試験場職員の手によって碑が建てられました。 そこには「朝鮮の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と韓国語で刻まれています。 浅川巧の墓は日本人には長いこと知られないまま、韓国の人々によって永く守られてきました。韓国の人々、とりわけ故趙在明氏をはじめとする韓国林業試験場職員たちの理解と貢献があったのです。 北杜市浅川兄弟資料館資料より引用しています。

    2024年02月09日16時38分

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